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広澤虎造(本名・山田信一)は明治三十二年(1899)、東京は芝で生まれた。十九歳で大阪に行き二代広澤虎吉の弟子となり、大正九年(1920)、二代目広澤虎造を襲名、真打となる。二年後上京し、それまでの「低調子」を「高調子」に改め、木村重松と鼈甲斎虎丸それぞれの良さを取り入れ、独自の「虎造節」を完成させた。神田伯山の十八番の「清水次郎長伝」を研究して、「虎造の次郎長伝」を作り上げた。「旅行けば駿河の道に茶の香り_。」自作のこの「マクラ」は知られ渡った、いわば流行言葉になった。
広澤虎造
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