楽琵琶
ペルシャを起源に大陸を経由して雅楽とともに伝えられた。雅楽の管弦合奏に使用ものを楽琵琶という。槽(胴)の材質は、甲は花櫚、紫檀、桑で用いられ(桜や欅もある)、腹板は沢栗で作る。甲が一枚板で作られたものを直甲(ひたこう)といい、二枚または、三枚を合わせたものを剥甲(はぎこう)といい、直甲が高価といわれる。腹板のやや下部に10〜12cmほどの革が横に張ってあり、これを撥面または、撥皮という。演奏の際にここに撥があたる所である。ここには美しい絵を描いたものが多くあり、銘と呼ばれ、「青山」など名のあるものもある。
槽の上の頸のところを鹿頸(ししくび)といい唐木か桑で作る。上端の海老尾(かいろうび)は、黄楊や白檀が使用される。柱は低く小型であることが、近代の薩摩琵琶や筑前琵琶と異なるところです。撥は黄楊で作り、長さは20cmほどで薄い。弦は四本で、絹糸を縒って作る。

筑前琵琶
奈良時代の末から平安朝のはじめ、博多(福岡県)にいた「玄清」という盲僧が、親交あった伝教大師(天台宗の開祖)に比叡山延暦寺を建立の時に呼ばれて上洛。教典の地神経を読み、さらに平安宮の建立のときにも功があったので天皇より称えられ、故郷の福岡に帰って「成就院」を建てた。ここを筑前盲僧の本山として、北九州各地に筑前琵琶がひろまった。
盲僧達の手作りであったため当初は様々な形態の琵琶が使われたが、四絃五柱(ちゅう)が主流となる。今日のものは明治時代中期に薩摩琵琶を元に改良された新楽器で、四絃五柱のものと五絃五柱のものがある。五絃のものは薩摩琵琶に一絃高い音を加えたものとなっている。四絃の琵琶は小型で音も繊細なため女性の演奏者が多い。

薩摩琵琶
室町時代(16世紀末)、島津忠良が淵脇了公に命じて、古くから薩摩に行われていた盲僧琵琶の一種をもとに音量を出るように改良し、藩の武士達を教育するため教訓的な琵琶曲を作ったのが起源とされている。薩摩琵琶は四絃四柱の琵琶で、大形で柱(ちゅう)が高く、これも大形の撥(ばち)で勢い良くかきならし、スタイルにとらわれず、自由闊達に演奏する。江戸時代に入ると合戦物語りの歌詞が人気を呼び町人の間にも広まった。これを町風(まちふう)琵琶と呼び、武士の間でおこなわれたものを士風(しふう)琵琶とよぶこともある。明治時代に入ると薩摩琵琶は全国に広まった。現在では筑前琵琶と同様に一絃高い音を加えたものが作られ、五絃五柱の薩摩琵琶を用いる奏者と、旧来の四絃四柱の琵琶を用いる奏者が並立している。