三味線は室町時代に琉球から伝来した三線(蛇皮線)を改造して創られた。 古代エジプトではネフェル又はノフルと呼ばれ、胴に皮を張り、棹に三本の弦を張った楽器があった。その後ペルシャ(イラン)にあるセタールという楽器が出来た。イラン語で「セ」は「三」、「タール」は「弦」という意味であり、「三弦」ということになる。そして中国「元」の時代に蛇皮を張った三弦が出来、1390年頃この中国の三弦は琉球に入った。当時、中国は「明」の時代で、中国の江南の人々が渡った際に伝わったのであろう。
そしてその百年後、琉球に音楽の天才、「赤犬子」が楽器の改良と多くの名曲を創り、琉球三弦の元を確立した。そして永禄5年(1562)前後、貿易船によって伝わったとみられ、当時の日本では、大阪・堺、九州・博多の二つの貿易港に入った。九州では沙弥仙、須弥山(それぞれしゃみせんと呼んだ)が盲僧によって演奏されたという。
一方、堺では手に入りにくい蛇皮の代りに犬や猫の皮を張り、三十年の研究期間を経て、安土時代の初めには現在の三味線の基礎を確立した。
今日に残る最古の三味線は銘が「淀」と呼ばれ慶長二年豊臣秀吉の命によって京都の神田治光が作った。江戸時代には名匠、石村近江の名作もあり、三味線は日本の弦楽器において最高の位置をしめるようになった。

三味線は「棹」と「胴」の部分からなり、「棹」は上から海老尾(転軫)、棹、それに棹の下は棒状になっていて、胴の内部に挿入した部分の中子(中木)、胴の下に突き出ている部分の中子先からなる。材質は、紅木(こうき)が高級とされ、次に紫檀、樫や桑の木を使用される。棹の長さは二尺六分(62.5cm)で、太さはいろいろあり細棹、中棹、太棹がある。

棹の種類面の幅・上部

棹の種類 面の幅・上部 下部 重ね・上部 下部
細棹 長唄 2.3cm 2.5cm 2.5cm 2.6cm
中棹 常磐津・清元・新内は細棹と太棹の中間の太さ
太棹 義太夫 3.3cm 4.0cm 4.3cm 4.6cm

棹は持ち歩きに便利なように、「継ぎ棹」といって、「二つ折」や「三つ折があり、5箇所の継ぎ目のある「六つ折」など珍しい棹もある。なお継ぎ目の無い棹は、「延べ棹」とよばれる。
「胴」は四面の枠が外側に凸形の四角形の箱で、材質は花梨、桑、欅の木作る。胴の枠の上には「胴掛」という蓋状のものを付け、演奏の際に右手の腕を乗せる。「皮」は胴の両面に張り、猫や犬の皮が使用されるが、最近では合成のビニールも使用される。「弦」は、糸とよばれ絹糸を撚り合せて作り、一の糸は太く、二の糸はこれに次ぎ、三の糸は最も細い。糸は蚕からとる絹糸が本来で、滋賀県の伊香具産が有名で、一匹の蚕から出る七本の極細の糸を撚り合せたものを四十本撚り合せ三の糸をつくる。二の糸は三の糸を二つ合わせて撚り、作る。一の糸は三の糸を三本撚り合わせて作る。最近ではナイロン製の糸もある。
「駒」は糸の振動を胴の皮に伝え、三味線の音質を決める大事な部分で、材 質は、象牙、水牛角、鯨の骨、竹、紫檀、黒檀などがある。義太夫や地唄は水牛が多く、長唄では象牙が使用される。余談ですが、「駒」のなかに「忍び駒」というものがあり、竹で作られて音量をおさえる目的のためのものがあります。
この「忍び駒」は江戸時代中期からあり、当時は、皇室、徳川将軍、三卿(尾張・水戸・紀州)、三家(一ツ橋・田安・清水)の凶事に際しては三ヶ月から一年間、鳴物が禁止されるため、その期間に内密で三味線を弾くのに用いたという。
最後に「撥」が使用されます。形は上が少し開いた扇のようで「ひらき」といい、下の部分を「才尻」といい、その中間の握り持つ部分を「手の内」という。材質は地唄が水牛角を使用し、長唄は象牙、義太夫は両方使用される。

三味線の糸の調律には「本調子」、「二上り」、「三下り」の三種類がよく使用され、次いで「一下り」、「六下り」などがある。演奏者は正座し、胴を右膝にのせ、棹を左手で握り人差し指、中指、薬指の主に爪で勘所(ポジション)を押さえ、右手で持った撥を糸にあてて弾く。撥は皮にあてるように強く弾いたり叩かずに弾く、または撥の裏角ですくう演奏法がある。左手も「はじき」、「こき」「すりあげ」「すりおろし」などがあり、三味線の味がでる。このほかに「小唄」のように撥は持たず、右手の人差し指で「爪弾き」する奏法もある。