語り物としては最も複雑な内容と形式とを備えた音楽である。浄瑠璃の一派には違いないが、今日、浄瑠璃と言えば義太夫を差す場合が多い。殊に関西では浄瑠璃と義太夫は同義である。
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「蘆屋道満大内鑑」は竹田出雲作の五段物の浄瑠璃で、平安時代に題材をとっているので王代物と言われる。享保十九年(一七三四)竹本座で初演された。和泉国の信田森の白狐が安倍保名と契って、秀れた陰陽師安倍晴明を生んだという、いわゆる信田妻の伝説を基にして作った浄瑠璃である。
荒筋−天文博士加茂保憲の二人の高弟安倍保名と蘆屋道満は、保憲の没後どちらが後継者になるかを争うこととなった。ところが陰陽道の奥義書が紛失したため、保名の愛人であった保憲の養女榊の前に疑いがかかり、酒見の前は自殺してしまう。恋人の保名はそのために狂気となり信田の森をさ迷ううち、榊の前に生き写しの葛の葉に出逢う。保名の狂気もそれによって回復し、保名と葛の葉は夫婦となり、今は二人の間男子まで儲けて平和な生活を送っている。ところが葛の葉は本物の葛の葉ではなく、信田森の劫を経た白狐であった。この狐は天下を狙う悪人左大将元方の奸計の犠牲となって、狩り出されて殺されるところを保名に救われたことがあるので、その恩返しのために狂気の保名を救ったのである。さて、二人の間に生まれた道時が五歳になった時、本物の葛の葉がこの家を訪ねてくる。そこで狐の葛の葉は良人と愛児を残して、泣く泣く信田の森へ帰ってゆく。葛の葉狐が良人と愛児を残して別れてゆく段が「狐別れの段」である。
なおこの童子は、それまで元方の悪計に荷担しているようによそおっていた蘆屋道満に見出されて、晴明と名付けられ取り立てられ出世することになる。
浄瑠璃/豊竹山城小掾、三味線/鶴澤清六
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この浄瑠璃の原作は、近松門左衛門の世話物浄瑠璃「冥途の飛脚」で、正徳元年(一七一一)三月竹本座で初演された。それを菅専助と若竹笛躬が安永二年(一七七三)に改作したものが、「傾城恋飛脚」である。
荒筋−大阪淡路町の飛脚屋亀屋の養子忠兵衛が新町の槌屋の遊女梅川に馴染んだ揚句、金に窮して友達の丹波屋八右衛門の為替五十両を費い込んだ。これについて一応諒解を得たはずなのに、新町の揚屋で八右衛門が大勢の前でこの件を言い触らし、悪口するのを聞いて、カッとなった忠兵衛は出入の屋敷へ持参するはずの三百両の封印を切って八右衛門に叩きつけ、梅川を身請けして駆け落ちをする二人は手にてを取って廓を出て奈良の旅篭や三輪の茶屋と二十日ばかり諸所をうろついて遂に郷里の新口村に入りこみ、旧知の農夫忠三郎の家に忍び入って、実父の孫右衛門と対面する。
浄瑠璃/竹本綱大夫、三味線/竹澤彌七
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この浄瑠璃は並木五瓶の歌舞伎狂言「けいせい倭荘子」を浄瑠璃に移したものと思われる。五瓶の原作は天明四年(一七八四)正月、大阪中座で初演された。その時道行を語ったのは宮薗文字太夫らであったらしい。その後、人形浄瑠璃に移されて、文政元年(一八一八)十二月、大阪の稲荷境内で上演された。これが人形浄瑠璃としては初演ではないかと思われる。その時の道行の名題を「二世の緑花の台」と言った。これが「蝶の道行」である。
北畠家の家臣、近藤軍次瓶衛の一子助国と、同じ家中の星野勘左衛門の妹小巻とは深い恋仲であったが、両家がお家騒動に巻き込まれ、二人の恋人は若殿夫婦の身替りとなって首を討たれた。すると並べてある二人の首から、それぞれ雌蝶・雄蝶が飛び立ってもつれ合いつつ花園の上を飛んでゆく。二つの蝶は恋人たちの化身であった。蝶たちはやがて助国・小巻の姿となり、思いのたけを語り合う。だが、それも間もなく、二人を襲う修羅道の責苦の中で、二人の姿は消えてゆく。
浄瑠璃/竹本越路大夫、三味線/野澤喜左衛門
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