JTRAD 055

新潟県佐渡島の代表的民謡。毎年7月25日〜27日、佐渡郡相川町で「鉱山祭り」にパレード用の唄としてうたい踊られる。原曲は九州の『ハイヤ節』で、船乗り達により佐渡の港町小木の花柳界に伝えられ、これを相川金山の鉱夫たちが酒盛りや仕事のさいにうたうようになった。明治29年(1896)相川金山が国から払い下げられるのを記念して始まった「鉱山祭り」で『選鉱場踊り』として草の笠をかぶり唄いながらパレードして廻ったのがはじまり。その後名手といわれる村田文蔵が節回しを統一、大正15年(1926)にレコード化するさいに現在の曲名となった。
唄/相川立浪会


JTRAD 054

富山県の民謡。婦負郡八尾長が本場で、9月1日〜3日の『風の盆』で唄い踊られる。原曲は九州地方の舟歌『平戸節』が八尾に運ばれ変化したという説がある。「おわら」は作業唄で、昔養蚕農家の八尾乙女達が桑を摘み繭から糸を繰りながら口ずさんだといわれ、すでに元禄年間(1688〜1704)には町内をねり回る行事のうたとして八尾に定着していたらしい。三味線、胡弓、太鼓の伴奏にのり、唄い手一人、囃子(はやし)手一人の形でうたわれる。歌詞は七・七・七・五の26文字が基本だか、『五文字冠り』という、上の句に5文字をかぶせ31文字にしてうたうのが「おわら」の特徴である。古謡として歌い継がれて来たものなど百首以上の歌詞でうたわれ、現在でも新作が毎年作られている。踊りには男踊りと女踊りがあり、男は法被(はっぴ)姿、女は振袖に編笠で各町内ごとに連をなして、八尾の町を流していく。
唄/富山県民謡おわら保存会本部


JTRAD 056

青森県津軽地方の民謡。津軽の芸人たちが門付け(かどづけ)や巡業先の舞台でうたってきたもの。津軽地方の方言で『じょんがら語る』とは多弁であることや無駄話をすることを意味する。歌の合間に滑稽な文句や開放的な性風俗をうたいこんだ方言の囃子ことばがリズミカルに織り込まれ、長編の口説(くどき)節の形。うたの由来は慶長年間(1596〜1615)に越後(新潟県)で起きた耕作権争い。信濃川の中州を巡っての争いで旧領主の菩提寺の住職が、土地争いに抗議して川に身を投げた。その故事を村民がうたったといわれる「新保広大寺」が越後ごぜによって諸国にひろまってとされるが、それが津軽に伝えられたという。明治中頃までに、三味線も唄も技巧が加えられしだいに今日の形となった。津軽三味線の『じょんがら曲弾(きょくびき)』は歌の前奏が独立・発展したもの。
浅利みき


JTRAD 057

北海道の代表的民謡。源流となったのは信州の『馬子唄』で、追分宿の飯盛り女たちがこれに三味線をつけてうたった『追分節』が江戸時代後期に新潟の花柳界に伝わり、天保年間(1830〜1844)に北前船で日本海を渡り北海道に入ったという。江差各地で異なった唄い方がされていたが、明治末期に今日のものに統一された。
佐々木基晴


JTRAD 058

島根県安来市の民謡。源流は島根県下でうたわれた『さんこ節』で、それをもとに長編の口説(くどき)節化して日本海沿岸各地でうたわれた『出雲節(舟方節)』から派生したとされる。大正時代にレコード化されるとともに泥鰌掬いの踊り、銭太鼓の曲打ちのスタイルがうけ、全国に広まった。
黒田幸子


JTRAD 059

福岡県の民謡。かつては『筑前今様』とよばれ、現在の福岡県を中心に黒田藩の武士によってうたわれていた。雅楽『越天楽』の旋律に様々な歌詞をはめこんで歌う『越天楽今様』がもとの形。日本中で愛唱されるこの曲の歌詞は福島正則が豊臣秀吉から贈られた名槍『日本号』を黒田藩士母里太兵衛が大盃の酒を飲み干して持ち帰ったという勇壮な故事もとにつくられたもの。昭和初期ラジオで放送されると日本全国に広まった。
赤坂小梅