謡曲というのは、中世の室町時代に世阿弥に依って大成された能楽の詞章を音楽としての立場から言う言葉である。能楽は既に日本音楽の歴史の中で触れた通り、物真似芸からおこった猿楽能に、先行芸能の田楽能の要素を採り入れ、更に当時世間で流行していた舞楽を摂取して大成させたものである。
能楽の精神的基調には詞章の上にも演技の上にも幽玄ということが尊重された。この幽玄を目標とするという点において、当時の人々は田楽能を捨てて能楽にはしったと考えてよい。なお、能楽における幽玄とは、優雅で柔和典麗な情趣をさすのである。能楽の大成者世阿弥は、現在の観世流の流祖に当る。


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能は昔原則として五番立てで上演された。その場合「翁」は別格として最初に演ぜられる。
初番目物(翁の脇だから脇能ともいう。神仏物。)
二番目物(武将などの修羅道の苦しみを見せる。修羅物。)
三番目物(歴史上著名な若い女性などが登場する。鬘物。)
四番目物(狂女物・現在物などを含む雑能。)
五番目物(鬼神や天狗などを主人公とする。鬼畜物。)
以上は型通り演ぜられた場合である。
「隅田川」は狂女物とも言われ、四番目物の中に籍を置く曲である。曲の筋は、わが子の梅若丸を人買いに連れてゆかれ狂気となった母親が、遥々隅田川のほとりまでやってくると、この地で空しくなった梅若丸の一周忌の大念仏が行われているのであった。母親が大念仏の仲間に加わって称名を称えると、死んだわが子の声が念仏の中に混ざってきて、やがてわが子の姿が母親の前に現れる。その幻を追い求めるうち夜もしらじらと明けて、わが子と見えたのは塚の上の草であった、という筋である。謡曲の登場人物とその役割は次
の通りである。
シテ(主人公)−「隅田川」では狂女がシテである。 ワキ(副主人公)−一曲の進行係の役をつとめる。「隅田川」では渡守がワキである。
子方(少年に与えられる役)−「隅田川」では梅若丸をつとめる。
地謡−能(謡曲)で合唱団の役割をする。また、その合唱団の謡う部分の名でもある。詞章には「地」とだけ書くのが普通。「上歌」は高音でうたう地謡の部分をいう。
シテ/観世銕之丞、ワキ/梅若六郎


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作詞・作曲は世阿弥。古くは「相生」(あいおい)ともいった。めでたい曲として、脇能物(能の番組構成で〈翁〉のつぎに〈脇〉に舞われるところからこう呼ばれる)で最もポピュラーな曲。正月の会などでは好んで演じられる。前後ニ場の構成。後場ではめでたい舞い(神舞)が舞われる。紀貫之の古今集仮名序の「たかさご、すみえのまつも、あいおいのやうにおぼえ_・・」を題材とし、それに夫婦和合の教えを中世風に脚色したものといわれている。
曲の筋は、九州阿蘇の神主友成一行が都へ上る途中、高砂の浦(兵庫県)に着くと老翁と姥が松の落葉を掃き清めているのに出会う。その様を不思議に思った友成が、なぜここ高砂と対岸の住吉(現在の大阪市)の松が場所は隔たっているのに同じ『相生の松』と呼ばれるのか問うと、老人は対岸住吉の者、妻はここの者と答え、松と同様に海を隔てた夫婦であることを述べ、時と所をへだててもかよいあう夫婦の愛はかわらないといいながら舟で沖に去っていく。「住吉で待つ」と言い残して。松の精が夫婦となって現れたのだ。後場では誘われるように友成が舟で住吉に着くと、松よりもさらに長寿である住吉明神が登場して、宮人たちに音楽を奏させ(神舞)を舞う。松風の音とともに現世を祝福して曲を終わる。
謡/観世流二十五世宗家 観世元正


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祝儀の能。うたわれる内容も「鶴も千代をや重ぬらん」(『准南子』)、「亀も万年の齢を経」(『広五行記補』)と目出度い詩であり、月宮殿・長生殿・蓬莱山・七宝(金・銀・瑠璃・瑪瑙_)など目出度い素材がつくされている。あら筋は特になく、唐の玄宗皇帝の月宮殿への行幸で行われる様々の行事と舞楽がつづき、帝みずからも舞い奏で、やがて長生殿に帰還する。
謡/宝生流十八代宗家 宝生英雄


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能の五番目物の代表作。正規の能は五作品が上演されるが、五番目物は一日の最後におかれ『切能』『鬼畜物』とも呼ばれる。速いテンポ、豪壮絢爛に盛り上げる演出でフィナーレを飾る。なお猩々(しょうじょう)というのは海中に住むといわれる架空の妖精。
あら筋は親孝行の高風が夢をみる。市へ行って酒を売れば大もうけするというもの。お告げ通りにすると大もうけ。あるとき酒をうるたびにいくら飲んでも平気なものがいる。不思議に思った高風が問うと、海に住む猩々だと明かして去る。高風は入り江のほとりへ行き酒を用意して待つと、猩々が現れ振舞われた酒を飲み、舞(中之舞)を舞い、高風の親孝行をほめ無限に酒が涌き出る壷を与える。
謡/金剛流第二十五世宗家 金剛巌・金剛永謹


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世阿弥作。能では一番目に演じられる演目で初番目物(しょばんめもの)といわれ、能の後半で必ず神が現れ祝福をたれるのが特徴。この「老松」(おいまつ)では老神が老人の面に白髪をたれた姿で登場し荘厳な『真ノ序ノ舞』を舞う。 あら筋は梅津の某が夢のお告げで筑紫安楽寺に行くと、老人と若い男が咲き誇る梅の垣を囲っている。梅とその脇の老松のいわれを聞くと、二人はそのいわれと梅と松が唐の国でも尊ばれたことを述べ、神々しい姿で去る。梅津の某が老松のかたわらに滞在してお告げを待っていると、老松の神霊があらわれ、客人を慰めようと様々な舞楽を奏し、神託を告げる。
謡/金春流第七十九世家元 金春信高


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「鶴亀」の喜多流での呼び方。物語が玄宗皇帝の月宮殿への行幸であり、舞台には大屋台にのせて月宮殿を模す作り物が出されるのでこう呼ばれる。(詳細は「鶴亀」参照)。
謡/喜多流十五世宗家 喜多 実