| | JTRAD 062 |
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「鐘一つ売れぬ日はなし江戸の春」。この句のように江戸は火事の被害も多かった。ここで活躍する「町火消し」は、いろは一番より十番まで四十八組と本所・深川十六組を総称した火消しのことで、この組をいろは別にしたのは、町奉行大岡忠助とも言われているが、はっきりとした文献はない。火事に際して、命をかけた活躍といなせな形は江戸っ子らしさがあった。
この江戸の火消し(鳶職)が、仕事唄として歌い続けてきたのが「木遣り」で、その意味は、或る場所から他に木をうつす(遣る)とか、気を入れる(気をやる)などいわれている。江戸は神田の唄の名人・稿屋幸次の弟子の「鉄」が、御本丸城の普請地固めの際に唄ったのが始めともいわれる。声の調子合わせを兼ね、めでたい真鶴・手古から唄い出すのがきまりとなっている。
木遣り/中沢幸次郎ほか
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東海道五十三次を唄った木遣り。旅の出発は日本橋から京都までを唄ったものであるがここでは鈴が森までを紹介している。
木遣り/中沢幸次郎ほか
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