江戸時代において京阪地方で唄われていた唄を、江戸の唄に対して上方唄と言い、土地の唄という意味で地唄ともいう。古いものとしては三味線菟田野初期に属している三味線組唄から始まって、元禄期を経てそれ以後作られた歌曲などを総称して地唄と言うのである。伴奏楽器は三味線である。
中世末期に渡来した三味線は琵琶法師の手に移され、その後独自の発達を遂げてきたが、この楽器を扱ってきた者は殆んど盲人たちであった。そうした人たちが地唄を作り上げて育ててきたのである。一方、元禄頃から筝と三味線の合奏が行われるようになったので、筝曲と地唄が次第入り混じってくるようになった。今日では生田流などの関西系の筝曲家にとって地唄は大方兼業になっている。
地唄には組唄のほかに、唄もの・作もの・語りもの・手事もの・京もの、などの区別がある。


JTRAD 043

流石庵羽積(『歌系図』の著者)の詩に峰崎勾当が作曲したもの。江戸時代後期に作られ、地歌の最高傑作といわれる。内容は昔大阪南地の芸奴であった主人公が、出家して清浄な心に安らぎを感じている今の心境を歌ったもの。曲中に雪の場面はないが、合の手に鐘の音の描写が入り、雪や寒さを表現している。昔からこの合の手は『雪の手』として長唄などにも利用されている。
唄・三絃/富崎春昇