| | JTRAD 035 |
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現在河東節の中でも代表的なものと考えられている曲。市川団十郎家の当たり狂言『歌舞伎十八番』の「助六」に使われている浄瑠璃である。「助六」に使われた河東節はいろいろあるが、宝暦十一年(一七六一)市村座で市村亀蔵(後の九代目市村羽左衛門)が助六に扮したとき初めてこの「助六由縁江戸桜」が用いられた。そして文化年間(一八〇四−一八一七)以後は、河東節を用いるときは「所縁江戸桜」に決まって現在に至っている。
「助六」の芝居に使われる浄瑠璃と言っても、助六の出端に使われるのである。「出端」というのは舞踊劇において登場人物が花道で踊る舞踊のこと。古い歌舞伎の出端の形式を残しているのはこの演目だけである。
浄瑠璃/山彦紫存、三味線/山彦可良
| | JTRAD 034 |
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いわゆる浅間物の浄瑠璃の一つ。元禄十一年(一六九八)正月、京都の山下座で名優中村七三郎が自作自演の狂言『傾城浅間嶽(けいせいあさまがたけ)』を上演して大当たりを取った。この狂言のクライマックスは、主人公の小笹巴之丞が、傾城奥州と取りかわした起請文を火にくべると、煙の中から奥州の生き霊が現れて怨みを述べる場面である。この部分が舞踊化され、河東・富本・常盤津・清元など各流派による舞踊劇が作られた。浅間物というのはそれらを総称したもの。
一中節の「傾城浅間嶽」は、寛政四年(1792)江戸の中村座の正月公演で初演された。八百屋お七と恋人の吉三郎とが揃って芝居見物に行き、芝居小屋で舞踊劇「傾城浅間嶽」を見るという、いわゆる劇中劇仕立ての作品。浅間物の代表作に同じ一中節の「夕霞浅間嶽」(通称『夕霞(ゆうがすみ)』)もある。
浄瑠璃/都一つや、三味線/都一中
| | JTRAD 036 |
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全部で十段しか残っていない宮薗節の中の代表的な名曲。地唄の曲想をとって宮薗に改めたものだが、登場人物は塩谷縫之助と遊女浮橋というふうに変っている。これは明治三年(一七六六)十月竹本座に上演されたという人形浄瑠璃「太平記忠臣講釈」の道行の場面を宮薗節に移したものと考えられている。
浄瑠璃/宮園千之、三味線/宮園千愛
| | JTRAD 044 |
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長唄「京鹿子娘道成寺」(1753年初演)が江戸で大当たりをとり、のちに大阪で『九州釣鐘岬』と改題して上演されたものの一部が地歌に「鐘が岬」として残った。それを幕末の頃、荻江節にうつしたもの。
唄/荻江俊代、三味線/荻江しな
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