大和楽というのは、一中節の都派の十一世家元となった大倉喜七郎が創始した邦楽の一種目である。楽風は一中節を基本に置いて、河東節・宮薗節などの特色を加えて、さらに洋楽を参考にして新しい傾向の邦楽を目指している。しかし、洋楽化した邦楽という方向ではなくて、日本音楽の伝統的曲風を存置するといった行き方である。創始者である大倉喜七郎の次のことばが大和楽の狙いの総てを表現していると言ってようい。
「日本音楽の伝統の中から日本民族の将来の音楽に有益な要素を生かして採り、西洋音楽の優れた側面は遠慮無く消化して、単に西洋趣味にではなくあくまで日本人らしい感性に立ちながら、しかも現代の生活に適応したらしめたいという念願に基づいているわけです。」
大倉喜七郎は大倉財閥を形成した実業家、大倉喜八郎の子で、同じく実業家であると共に、楽器改良事業として昭和の初めにオークラウロと名付けられた横笛式の管楽器を発明した。これは尺八の音色をもち、そして尺八より一層合理的な管楽器であった。また、大和楽の草紙と多くの歌曲を自ら作曲した功績は大きい。
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作詞は邦枝完二、作曲は宮川寿朗。昭和二十年十月(1945年)に作られたもの。作曲者として多くの仕事をした清元栄寿郎が、大和楽を作曲した際の別名である。「おせん」の内容は、行水をおえた夕暮れの江戸の情趣が詞と唄によく表現されている。曲の結びの部分は何とも大和楽調であり聞きどころになっている。
唄/大和美代葵、三味線/大和久満
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作詞は永山智香子、作曲は大和久満による。昭和49年(1974)10月、国立劇場でおこなわれた、舞踊家花柳宗岳の会で初演された。同氏が画家堂本印象の日本画(一つ傘に梅と桜の着物を着た女性を描いたもの)をモチーフに考案したものである。曲の最初のハミングが大和楽らしい雰囲気を伝えてくれる。一つの傘に姉妹が二人の思い出をこめ、早春の情景を歩んでゆく様子が唄われている。
唄/大和美代葵、三味線/大和久満
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